旅の日記

<大仏鉄道>遺構と幻の鉄道<五新鉄道>

3月30日(水)に、1898年に開業されたのですが、1907年には廃業となり、僅か9年少しの営業で終わった<大仏鉄道>と営業すら叶わなかった幻の鉄道<五新鉄道>の遺構を訪ねてきました。

今日の全体の行程などを考慮して、先ずは大仏鉄道の遺構を巡るハイキングコースからスタートすることにしました。青春18切符を使っての移動なので、JR野江駅をスタートしてJR大和路線(関西本線)の<加茂駅>に向かいました。

<大仏鉄道遺構>

大仏鉄道遺構巡りマップ

①のランプ小屋から⑫の佐保川橋脚跡まで約13kmのハイキングコースです。鉄道好きには遺構を巡るとハイキングになり、ハイカーにはハイキングしてると大仏鉄道の遺構に出会うと言うことですが、高低差もそれほどないので歩きやすいです。

①ランプ小屋

ランプ小屋は加茂駅の西側にありますが、道路に面しては裏側です。

②旧加茂駅跨線橋支柱

どこにあるか発見できませんでした。

番外①:駅東公園

加茂駅東口前に広がる公園内には、大仏鉄道の歴史や加茂機関車庫の転車台後から見つかったレールやレンガが展示されています。

番外②:C57 56号機

大仏鉄道には直接は関係ないようですが、加茂小学校の裏手に大和路線(関西本線)に並行してC57(貴婦人)が展示されています。

③観音寺橋台&観音寺小橋台

加茂駅から、約2.5kmで到着。C57の展示してある所から小学校前の道に戻った後、大和路線(関西本線)を越え、泉川中学校を右手に見ながら歩いていくと道案内板が数か所あり、ここまで導いてくれます。

観音寺橋台の遺構は、大和路線(関西本線)の橋台と平行に残っており、運が良ければ、大和路線を走る電車を写真におさめることができるのですが、タイミングよく踏切の警報音が聞こえてきました。時間など頭に入れてなかったのですが、運よく加茂発9:43の大阪行き大和路快速が通過する写真を撮ることが出来ました。案内板の写真と同じです。

観音寺橋台から直ぐのところに、観音寺小橋台が残っています。

④鹿背山橋台

観音寺小橋台から約750mで鹿背山橋台に着きますが、途中に二股で分かれ道がありますが、ここにも案内板は立っていますので道を間違えることはないです。

⑤梶ケ谷隧道

鹿背山橋台から道なりに歩いてくると、美加の原カンツリークラブの多分(かもコース4番ホール)の今は使われていないバックティーにもお目にかかれますが、ほどなく整備された道路になり、美加の原カンツリークラブの入り口を過ぎると、少し判りにくいですが、下に降りる道があります。ここを見落としても、大仏鉄道公園が見えてくるので、ここで気が付くと思います。下へ降りる案内板の写真を撮ったつもりでしたが、取り忘れていたようです。

梶ケ谷隧道を通り抜けると次に赤橋が現れてきます。

⑥赤橋

赤橋は、地元の方が利用していますので現役と言えば現役です。私も上を歩いてみました。

赤橋を潜り抜けて、上の道に戻ると目の前に大仏鉄道公園が見えます。上の道を少し引き返すと赤橋を同じ目線で見ることができます。この道が、下に降りるのを忘れても通る道です。

番外③:大仏鉄道公園

公園の一角に、レールと枕木の一部があります。奇麗な公園で、トイレもあるので休憩するには最適な場所だと思います。

⑦井関川橋梁跡

多分、遺構としては何も残っていませんが、気づかずに通り過ぎていました。ただ、交差点の手前に奈良交通の梅谷バスターミナルがありました。

⑧松谷川隧道

道路から下へ降りる道は、わりと見つけやすいと思います。道路の反対側はフォレストモール木津川があるので分かりやすいですし、下へ降りるところには、大仏鉄道の運営会社である関西(かんせい)鉄道の社章のレプリカも展示されています。

次に向かう鹿川隧道は、少し分かりにくいです。

⑨鹿川隧道

梅谷口の交差点をそのまま通り過ぎてしまうと辿り着くことは出来ません。交差点の所から畑の方に下っていく道を行かないと、鹿川隧道にはお目にかかれません。私も行き過ぎてから引き返し、農業水路に行く方法はないかと眺めていたらルートを発見しましたが、遠回りですがそれしか近づく方法はないと思います。

⑩黒髪山トンネル

昭和41年ごろまでは生活道路として残っていた、大仏鉄道唯一のトンネルでしたが、道路の拡張工事で山ごと削られて今の姿になってしまっています。元の姿の写真は残っていますが、引用するのは控えました。気になる方は<黒髪山トンネル>で検索すれば見つかります。

⑪大仏鉄道記念公園

大仏駅の跡地に作られた公園ですが、狭い公園です。ただ、桜も見事に咲いていて花見客が大勢いましたので公園内は人でいっぱいでした。

⑫佐保川橋脚跡

川底にレンガ造りの橋脚基底部があるようですが、桜に見とれて探せませんでした。

ここから、奈良駅まで歩いて大仏鉄道の遺跡を巡るハイキングは終わりです。

次は五條に向かい、<五新鉄道>の遺構と新町通りなどをぶらっとします。奈良から王寺で乗り換えて五条に向かいますが、予定よりは早く奈良に着いたので、乗り継ぎ時間は悪いですが、王寺で40分少々時間を潰すことにしました。

王寺はJRの王寺駅を中心に、大阪方面に近鉄王寺駅があり、近鉄生駒線の正式な起点ですが、運行上は生駒駅が起点駅となっています。また、奈良方面には近鉄新王寺駅がり、正式な起点ですが、こちらも運行上は西田原本駅が起点駅になっています。また、この田原本線は、近鉄では唯一他の路線から独立していますが、新王寺駅と王寺駅は歩いて2分ほどの距離です。

<五新鉄道遺構と五條のまちなみ>

五條の駅前にある観光案内所でガイドマップをもらい、大まかなルートを聞いて新町通り(旧紀州街道)を歩きながら<五新鉄道>の遺構に向かいました。画像のマップは観光案内所で貰ったものとは少し違いますが、おおむね同じです。

最初に教えてもらった本陣の交差点に向かいますが、この交差点は5差路になっており、地下道を通らないと道路の反対には行けません。教えてもらった通り地下道に入り野原方面出口から上がると、出たところに道標があります。全方向から写真を撮れば良かったのですが、一面しか取っていませんでした。

新町通り(旧紀州街道)に入ると古い町並みが残っています。餅商一ツ橋は2018年11月に廃業しましたが、新町の地域おこしのシンボルとして、今年(2022年)の2月からチョコレート専門店として生まれ変わりましたが、この日は生憎の休業日でした。

このまま歩いて五条を訪れた一番の目的地である<五新鉄道>の遺構を見に行こうと思っていましたが、新町通りに並行して流れている吉野川(紀の川)の土手にこいのぼりが見えたので寄り道。このおかげで奇麗な桜や浸水対策だと思われる家の作りなど見ることが出来ました。

この桜を見ながら下に降りると、そこが<まちなみ伝承館>の駐車場で、入口にもなっています。<まちなみ伝承館>は入館無料ですが、五条の歴史などを知ることができますし、パンフレットもいろいろと置いてあります。

いよいよ<五新鉄道>の遺構です。明治末期から五條市と新宮市を結ぶ路線の計画が持ち上がり、昭和12年から着工が始まったのですが、太平洋戦争が始まったことで資材不足により工事は一時中断され、戦後工事が再開されて、昭和34年には五條市から新宮市までの路盤工事も完了し、後は軌道施設などの工事を残すのみとなっていたのですが、経済社会情勢の変化で工事は中断されて開業することなく幻の鉄道なってしまいました。

次の2枚は吉野川の堤防から撮った写真です。

この後、駅へ戻ろうかと思いましたが、少し早いので、帰り道にある<民俗資料館>に寄ってみることにしました。閉館時間が16時で、私が着いたのは15時58分。女性スタッフに聞くと「良いですよ。ゆっくり見て行ってください」と優しい言葉、入館料は無料です。正面の入り口にあたる部分は代官所の長屋門です。

入口横に幟も立っていますが、<天誅組>の文字。歴史で習ったこともあるような気がしますが、良くは知りませんでしたが、興味のわく案件です。また<天誅組>を軸に五條を訪れるかも知れません。

この入口の手前には、桜が咲き誇っていました。女性のスタッフに聞くと、昨日まではここまで花開いてなかったようですが、今日の暖かさで一気に満開になったようです。

家に帰って歩数計を見ると3万歩越え。腰はパンパンになっているし、脚はだるくなってます。

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